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東北ガイドブック
Tohoku Guide Book
これは東北地方の観光の助けとなるガイドマップ。(北海道も含まれていますが) 今年の夏に訪れた仙台、宮城、青森、北海道でみつけた新しい名所と、おすすめの商品などを紹介している。 ここではかなり自由な視点で価値を与えている。しかも私の体験をそのまま映しているので、同じ体験はできないものも含まれている。 観光地とか名物品は、たくさんあるけれど、ガイドブックやネットのありふれた文字列にしたがって行動し、当たり前かのように感動している瞬間がある。
もちろん大事なことだ。自分の知識だけでは知り得ない場所の存在を知って、新しい体験をすることは、それだけでも価値があると思う。だが、みんなと同じ体験をなぞっていることに、この体験の新鮮味とそぐわない気持ち悪さがるようにも感じた。
旅において、さまざまなものと対面したときの、バックグラウンドはかなり大事だ。旅の醍醐味だ。普段住んでる場所から何千キロも離れたところに何時間もかけて来て、歴史上の偉人がここで偉大なことをしたんだと言われると、感銘を受けてしまう。実は家のすぐそばの神社がすごい歴史深いものだったとしても、そこを重要視せず、初めて見たそれをすごいものとして認識する。不要な心理かといわれるとそうではない。自分が無意識で感じているものが無意識じゃなくなったとき、もしかしたら本来無意識に感じていた感動が薄れてしまうかもしれない。この視点は生活するうえでは必要でないということだとも言える。
しかし、自分の求めているものを認識すること。そのことはさまざまなものの本質を認知する力を持っているかもしれないのも確かである。また、自分の環境や外界からの刺激を自分で想定して操作することも、同時に可能であるように思う。
この試みは、日常の当たり前をひっくり返しているように見えて、なんてことない日常だったり、すぐに思いつくことが可能なものだったりする。常に小さい単位で事象はおきていて、認識している時もあればしていない時もある。これを本の中の物語のように捕らえるのではなく、日常に落とし込んで一度考えたときにどのような変化があるのだろう。
例えば、今あなたが着ているものはあなたや友達にどのような作用が働いているのだろう?何気ないものこそたくさんの要素を含んでいるように思う。 この試みはひとつの比喩表現にすぎない。置き換えられるべき要素は無限にある。これは特別なものではなくすべてあなたの中にあるものである。
あなたしか経験できないものから何かが生まれたら、それはとても面白いものだ。面白いものを持っている人は同時にガイドブックに乗っていないようなものを持っている。常識とかとはかけ離れてしまうものかもしれないが、それは他人にとってその環境の常識として定着していないからだ。
どうすべきかなんて本質的には決まっていないのに、自らの肩に重りを乗せる必要なんてないのではないだろうか。
▪︎個展 AMBIVALENT Gallery EGG
2017.11.14- 2017.11.19