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  • No.22
    筆置き Brush Stand

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    誰もが1 つの用途を持つ" モノ" に、一定の価値を見出してきたのに対し、本作品では、その” モノ” の用途としての価値を剥奪し、新しい価値を埋め込んでいる。
    例えば、「千円札」を「しおり」にしたり、「電源タップ」の穴にに花を刺して「花器」にしたりなど、合わせて100 個の商品を考案し、" ヤフオク" や" フリーマーケット" などで販売しながら、反応を記録した。
    当たり前に存在するブランドのような振る舞いをしており、HP を制作したり、プロモーション映像を作ったり、カタログ冊子を作ったりなど、様々な活動を行った。

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  • だれもが、1つの用途を持つ"モノ"に、一定の価値を見出してきたのに対し、本作品では、その”モノ”の用途としての価値を剥奪し、新しい価値を埋め込んでいる。
    私が扱うのは、美術品でもなければ、技術力の高いものでもない。誰もが見たことがあって、触れたことがあるものである。また、作業として一様に隔たりも少ない。
    そんなモノたちと、持っているであろう関係性の記憶を呼び覚ましながら鑑賞していただきたい。
    これらはかつて誰かがデザインし作ったモノであり、その形から手を加えていない。素材として扱わないことで普遍性を保っている。
    同時代の人間の考えや行動パターンを皮肉に観察しようとしているとも言える。機能固着を否定することで、典型的なパターンや固定概念がいかに眇眇たる結果を連鎖させているかを暗示させようとしている。だれしも、私自身も否定した作品でもある。
    見せ方に既視感のある雰囲気を意識的に漂わせることで、それらが浮き立つよう試みている。
    変えられない事実とどう共存していくか。またそれと俯瞰して考えられる脳への変換を試みてもいるとも言える。
    その視点を持つということは「ハイブリット」化しているといえるかもしれない。どちらが正しいとか、間違っているとか、どちらが自分の精神に沿っているとか、私感ばかりで外界と関わっていくことをたまにやめてみるのもいいかもしれない。
    本作品は、フリーマーケットやヤフオクなど、ギャラリーや美術館ではないところに販売という手段で提示し、活動に対する人々の反応を記録している。それにより、批判の対象としても反社会性を持つ。同時に、機能固着により置き換えるという発想を飲み込めない自然な心理を、社会性の側面として映し出している。
    置き換えていく視点はどのようなもなのだろう。
    実は冊子の順番で、最後の方は、ほとんど素の要素と同じ使い方をしている。同じ使い方で名前が違い、目的が違う。へんぴな使い方ばかり見てきたあとにこれに目を通すことで、いままではおもしろいものとしてみていた本作品の商品が日常にググッとその視点が入り込んでくる不思議な感覚になっていたらとてもうれしい。生活の中において、外界に対し、さまざまな憶測をするトリガー作りとも言える。
    既存の”モノ”を置き換えるという作業は芸術作品を見る時のような思考作業と似てるようにも思う。
    そこで、芸術作品をみる感覚を考える。
    芸術に価値を見いだすのは、かなり高度な技術だ。自分にも描けるようなこんな作品が高いわけがないと思う人もいるし、同じものに10億円出す人もいる。その差はなんなのだろう。
    それは、美術の歴史的背景を知っていて、その上で作品の位置づけや機能を通して評価することも大事な要素だが、もっと感覚的で主観的な感情でそのモノの良し悪しを選んでいるはずである。同時に、一般的に言う”見る目”があればそのモノには価値が生まれてしまうのだ。だが、実際にはモノの価値を決める基準は、さまざまな情報で左右されている。いわばどうにでも変えられうる対象なのである。
    そんな曖昧な価値をどう評価していくか、どんな目線で捉えるのか。それは自分で選択できるものであるし、選択するべき問題である。アートが文脈や背後関係を離れて取引上の需要と供給のみで価値が決まることに、どう抵抗するべきなのか。抵抗することさえも自己犠牲になってしまう時代に、何によって芸術を保つべきなのか。超現実的な題材を扱うことは、超複雑である。
    先ほど、「実際にはモノの価値を決める基準は、さまざまな情報で左右されている。」と言ったが、それはどのようなことなのかもう少し考える。
    モノの価値そのものだけの力以上に価値の振り幅を作ることを可能にするには、例えば、そのモノの状態や場所、バックグラウンドやストーリー、時間や時代など、本当にさまざまな要素の相互作用で決定していく。それらが事実であるとか事実でないとか、真意を確かめられないものはどちらでも構わないのだ。より多くの評価者のこれまで培われた正の捉え方と、それぞれの要素とがマッチした数が多いだけ価値は高くなる。逆にマッチした数が少ないと価値は下がっていくのである
    これもまた、マーケットの中で扱われ、それに乗っ取ったものが値段という形で評価されていく。ここでもやはり、人の基準で作られたお金の価値ほどの曖昧なものはないように思える。
    他人の基準で作られた世界を安易に疑いなく自分の意見として移行することへの気持ち悪さも隠せない。 必ずしも否定しているわけではない。さらに広い目で見ると、倫理の世界にも広がる。ここでいう理想は、作られた理想でもある。偽りであるべきである。理想通りになることが正義ではない。正義は自らしか認めていない場合、誰かにとっての悪なのである。だれも否定させない世界がつまらないからと、現実を突きつけているようで、実は究極の作り話でもある。自分自身を疑い、好きなものを疑うなんてことは難しいが、それが選択肢として捉えられるといいのではないかと思う。
    だがそれも幻想かもしれない。すべて自分の選択によって物事を運ぶ。選択肢が少ない人と選択肢の多い人、ある観点から見ると、前者は劣っているように感じられてしまう部分がある。だが、ある観点からいったら合理的で優れているとも言える。このように、結局答えなんてなく、殴られるように惑わせてくる世界の中でどんな風に自分を保つべきなのか。自らを確立させるのは複雑な作業といえる。
    モノの価値は時代性から影響を受けている。
    時代性を作り出すのは活動家による前衛的な思考の導入を、受け入れたり、批判することで移り変わっていく。今周辺にあるあたりまえの現実をどう見るか。まずはそこから疑問視するべきかもしれない。

    ▪︎赤レンガ倉庫 多摩美術大学メディア芸術コース 卒業制作展

     2017.3.5- 2017.3.8

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  • ▪︎科学未来館 学生CGコンテスト 受賞者展示

     2017.2.5- 2017.2.8

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  • ▪︎個展 AMBIVALENT Gallery EGG

     2017.11.14 - 2017.11.19

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