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Nilvana

Pattern 1

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  • きっかけは、禁止すること。つまり見てはいけないものに対して、禁止されればされるだけ気になってしまう心理をただ露骨に表現しようと思った。 私のように作品を発信することの意味はなんなのか、改めて自らに問い詰めてみた。 発表する行為や、市場における金銭的な価値はアートではない。むしろアートの本質とはかけ離れていると思う。 それとはまたちがい、アウトサイダーアートのように、人に認められることが目的としていないアートが本質的にもっともかっこいいアートだとも言える。表現を発表した時点で結局自分のための行為に成り下がってしまうからである。だが、誰にも知られないということは存在していないことと同義のようにも思える。しかし誰かに知られるということ自体が、あるいは値段付けされること自体がアートではないなら、その時点でそのものの価値が下がる。通常なら、人に知られ、有名になればなるほど価値は上がるが、その行為はかっこいいアートとは無縁である。商業的すぎるし、なんだかとっても、いやらしいとも言える。どうしても相反する心理にもつれ込む。 この作品はそんな相反する状態を表現したものとも言える。 また、そこで訴えられているのは、仏教の精神にかなり近いモノがあると感じた。何者にも捉われず、自らの核の部分で物事を見る。実は、入り口の作品の「POWER SANMON」は、なぜ鳥居にしなかったのかというと、仏教の精神の方が明らかに、この展示には馴染むと思ったからである。どこか、仏教の考え方に興味が湧いている。そう思うと、その中の”何か”は座禅を組んでいると考えてもよい。ひとに自慢することなく、ただただそこに座っている。 しかし題名に「ニルヴァーナ」(=意味は涅槃(ねはん)。仏教において、煩悩を滅尽して悟りの智慧を完成した境地のこと。生死を超えた悟りの世界。)とつけてしまったので、もう座禅を組んでる段階ではなさそうだが。。 禅の精神の話はまだ、修行もした事がないので説得力がないので、あこがれの存在のように扱っていこうとは思う。ただ、心酔しているわけではなく、あくまでおもしろいコンテンツとして扱っている自分もいる。断言できないものばかりだが、そんな相反する心理が渦巻いてしまっている事実があるから、今の自分の表現として受け止めてもらえたらありがたい。

    ▪︎個展 AMBIVALENT Gallery EGG

     2017.11.14- 2017.11.19