Just a milkcoffee


このミルクコーヒーはもとは全く同じものである。場所を指定したり、物語性を出すために、手をくわえたもの(一部へこませたり)や装飾したりはしている。それもこれもわかりやすく伝える一要素に過ぎず、基本的には同じものを扱っている。それに対し、単純にこんな風だったらもとより上がったり下がったりするなあと思いつく限り様々なミルクコーヒーを考えた。 そこに与えられているものは、名前である。これらの中には事実と作話の両方が入っている。ちなみに「世界で初めてのミルク入り缶コーヒー」というのは、実は事実である。(缶の裏に書かれている)ミルクコーヒーに付いている名前のほとんどは、誰もがどこかで聞いたことのあるような名前だ。それらは形を変えて世の中に多数存在する。これらは価値付けに使われる表現とも言える。 これらは人の脳のくせをうまく使った表現が多い。今回は、その脳のくせによって操った価値を値段として表現している。しかし、ここまでわかりやすく並べられるとさすがに信じる者はいないだろう。なので、自分たちが普段から無意識に価値づけている付加価値を付けられた商品に対する疑問視へ、かなりわかりやすい形で持って行けるようにも思う。 答えあわせをするように心理学を勉強していたら、ほとんどすべてのものに名前があることを知った。私たちの思考のくせはある程度実験などがされて、傾向が実証されている。 その事実を知り、改めて外界の情報によって左右されている無自覚な選択が多いことを知った。複雑なようで、脳はうまくできていないものだ。大体はある対象が一定以上の水準になり、何かのきっかけで気になる存在になることにより、平均よりそれがいいと思ったり悪いと思ったりする傾向である。脳というのは飛びつきやすいものらしい。自分の中で培われたものだけではなく、様々な基準をもっていて、その基準どおりに従ってしまう。どちらが合理的かはその都度によるだろうが、商品を売る上では合理的かは関係なく、脳に訴えかけるような仕掛けがされているものが多い。 普段の買い物、スポーツ、娯楽、エンターテインメントにおいて、このような言葉による影響が働いている。しかしそれらは人生を豊かにするために必要な要素でもあるのも事実だ。 ほんの一部分、そういった世界の構造を理解しつつ作り物のフィルターを外した状態でモノを見ると、自分の核の部分での選択に変わる。柄に柄を合わせる人を否定する人。お葬式で笑っている人を批判する人。広い目でみたらどちらが滑稽かを、決め付けられないように思う。

▪︎個展 AMBIVALENT Gallery EGG

 2017.11.14- 2017.11.19

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